これはSFか、経済小説か『顔のない独裁者 「自由革命」「新自由主義」との戦い』さかき漣・三橋貴明/書評

2017/05/07
顔のない独裁者

 人が求める自由とは、斯くも苦しいものである。

 本書は、教養小説シリーズで人気を博した三橋貴明・さかき漣のコンビが送る、今までとは全く違うアプローチで書かれた経済小説。

 前三部作は、時間軸を過去に置いて史実とフィクションを織り交ぜながら、読後は未来に希望を抱けるようなエンターテインメント小説であった。しかし今回は違う。本作は時間軸を近未来に置き、完全にフィクションの世界でありながらも、後味は圧倒的に「リアル」だ。前作と何がそこまで違うのか、その特徴をもう少し具体的に説明しよう。

顔のない独裁者 「自由革命」「新自由主義」との戦い

顔のない独裁者 「自由革命」「新自由主義」との戦い

著者
さかき漣
監修
三橋貴明
出版社
PHP研究所
初版
2013/11/13

近未来の虚構の中に描いたリアリティ

 過去の作品は、物語の下地として史実を扱っている分、読者はリアリティを持って読むことができたが、その世界に生きている登場人物はあくまで物語上に描かれたキャラクターであった。それに対して、本作品はデストピア風のSF然とした完全なフィクションの世界、つまり「虚構」がその舞台である。にも関わらず、そこに登場する人物は今までになく、ことごとく「リアルな人間」として描かれている。そのため、この小説は同著者の中で最も「重い」読後感が得られるものとなっている。

 響くシュプレヒコールのなか、進とみらいは夜空を照らす火を眺め、佇んでいる。歴史がまさに目の前で動いている様を、ふたりは見つめている。
 昨日までの、〝ここ〟は、大エイジア連邦主席という独裁者によって、支配されていた。祖国を奪われ、「大エイジア連邦の第三地域市民」として生きることを余儀なくされた人々。彼らはかつて、確かに〝日本人〟と呼ばれていたはずなのだ。しかし、その二千六百有余年の長き歴史において初めて国なき民となり、あまつさえ酷く虐げられ続けた彼らは、もはや、民族の誇りを持たず、ただ蠢く烏合の衆にも見えた。

――『顔のない独裁者』第一章

 外交政策の縺れから戦争に突入した日本は、急進する「博愛主義」によって変革を余儀なくされた。その結果、後戻りのできない法案が次々と可決され、中国大陸と朝鮮半島を含む「大エイジア連邦」が形成されるに至った。

 しかし、そのような構造は上手く行くはずも無く、権威の失落と共に日本は乱世に突入する。そして、「かつての日本を取り戻そう」という声と共に、大エイジア連邦に対する抵抗組織が登場する。その名を「ライジング・サン」という。

 物語は、後に「自由革命」と呼ばれる事件を発端として、その後に起こる政治動乱の日々を描く。その展開は、古い制度やシステムを捨て、新しく「自由」を求めた結果、どんな惨事が待ち受けているのかを読者に突きつけるものだ。

 著者は、本書の中で包み隠さず新自由主義を否定する。そう、これは「あなたの政治観」に対する挑発である。私たちは、ここに描かれる世界をどのように受け止めるのかを試されている。それは、右が良い、左が悪いといった単純な話ではない。「あなたはどう考えているのか」という話である。

 私たちの住む世界で、本当に生きている人間のほとんどは、およそ映画になるようなハッピーエンドで終わる人生を歩まない。それでも生きている。国であれ時代であれ、それを作るのは「人」だ。最終的に「人」無くしては何も語れないのだ。だから、人間がいればそれが物語となり、物語は物語られる。

 はっきり言って、この物語には気の利いた結末は用意されていない。であれば、本書を読む価値は一体どこにあるのか。私は、ここに「人間が書かれているから」だ、と受け取った。

本書は何を伝えようとしているのか

 苦悩し、時代に翻弄され、藻掻き、迷いながら、たとえ醜くくとも人は生きようとする。その先には、必ずしもハッピーエンドは用意されていない。人生は「小説」のように都合良くできてはいないのだ。普通なら物語的な気持ちよさに逃げてしまう所を、著者は最後まで妥協せずに人間を書き切ろうとしている。だから、この小説は「リアル」なのだ。この決断には勇気がいったのだと思う。その決断をもって、私はこの小説に一読の価値を見る。

 もっと言葉について正しい認識を持たなければならない。無邪気に「自由」を振り回すことが、いかに無責任であることか。だからこそ、群れを成して一斉に動こうとする群衆からは、一歩身を引いて良く考えることが賢明な選択だと言えよう。全ては相対的であり、全ての言葉は諸刃の剣に成り得るということを、肝に命じておかなければならない。

 あとがきの中で、著者は本作で「登場人物を一様に救うことができなかった」と語っている。救いの無い物語の中に希望を見出すこと。それは、とても「現実的」な手続きに思えてならない。

 生きることは、えてして悲劇である。私にしても自身の人生を振り返ってみて、正しかった選択を思い出すことなど至難の業だ。かえって、よくもこれだけ多くの挫折を繰り返しながらこの齢まで生きてこられたものだと、我ながら驚くほどである。「人はどんな境遇にあっても、やはり生きていかねばならない」。時に残酷に聞こえるこの台詞が、苦労を重ねれば重ねるほど、より深い意味を持って私に迫ってくる。

――『顔のない独裁者』あとがき

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初版
2013/11/13