『少女終末旅行』は優れた会話劇の見本だった!物語でリアルなセリフを作る秘訣はこの作品で学べ

2017/12/25
少女終末旅行

少女終末旅行』が面白い。この作品の何が面白いのかと聞かれたら、私は迷わず「会話が面白い」と答える。この作品は、原作の時点で既に優れた会話劇を展開しているが、アニメ化したことによって「声」と「間」が与えられ、その完成度を高めることに成功している。

『少女終末旅行』は、ウェブサイト『くらげバンチ』でつくみず氏が連載している漫画を原作として、2017年10月から放送を開始したTVアニメだ。文明が崩壊した終末世界を、半装軌車ケッテンクラートに乗って彷徨う二人の少女・チトとユーリの旅を描いた物語である。

 物語の中で完成度の高い会話を実現するには、視聴者が思っている以上に知識と技術を要する。今回は『少女終末旅行』という作品を通して、フィクションに命を与える会話の作り方を学んでいくことにしよう。

物語における「リアルなセリフ」とは何か

「面白い」という定義は人によって好みが異なるから、そのままの表現では語弊があるかも知れない。ここではもう少し分かりやすい指標とするために、作品のセリフ回しとして完成度の高い表現を「リアルなセリフ」と呼ぶことにしよう。

 そもそも「リアルなセリフ」とは何か。その事について一概に言い表すことは難しいが、少なくとも「リアルではないセリフ」を定義することはできる。

 第一に、普段聞き慣れた人間同士の会話とは異なり、不自然で違和感を感じるセリフのこと。第二に、違和感を感じるがゆえに、会話をしているキャラクターの意思で喋っているようには思えないセリフのこと。そして第三に、セリフの不自然さが気になって物語に集中できない言葉の使い方である。

 例外として、会話をしているキャラクターが人間ではない場合に、「そのキャラっぽさ」が表現できていれば、第一の違和感を払拭することが可能となる。要するに、見えてる絵や想定している人格に見合う言葉のやり取りが出来ていれば、そのキャラクター「っぽさ」は完成し、聞いていて違和感のない「リアルなセリフ」を作ることができるということだ。

 セリフが嘘くさければ物語の世界から感情が離れてしまい、リアルとは感じられない。だから、その逆を想像すれば「リアルなセリフ」の輪郭がつかめる。聞いていて違和感がなく、いかにもその人物が自然に喋りそうな言葉のやりとりを、作者は追求していく必要があるのだ。

 セリフは単なる音や文字の情報ではない。そこには、言葉を話す人間が関わっているのだから、人間が描けていなければ優れた会話にはならない。セリフは、喋る主体の内面の一部が言語化して表出した断片であり、登場人物の数だけ言語化「されない」情報が増えていく。

 作者は一人の頭で考えたストーリーの中で、複数の人物になり代わってセリフを紡いでいかなければならない。状況や場面に置かれたキャラクターが、その状況を説明するのではなく、そこに置かれた本人の内面からどんなセリフを言葉にしたくなるのかを考えていく必要がある。そのことを理解していない未熟な作者は、自分の考えをキャラクターに喋らせてしまうばかりに、嘘くさく厚みのないセリフを羅列してしまう。作者の代弁者となったキャラクターは、都合の良い操り人形であり、そこに人格は生まれず、したがって会話にリアリティを持たせることができないのだ。

「リアルなセリフ」にはキャラクターの作り込みが不可欠であり、作り込まれたキャラクターを前提として、そのキャラクターが喋りそうなこと、つまり「彼/彼女っぽさ」を演出することがリアルなセリフを作る秘訣と言える。より本質に迫ろうとするならば、こう言い換えることもできる。セリフにおける「リアル」とは、作者が創り出したキャラクターの存在を、視聴者が共有できた時に発生する感覚的な事象である。

チトとユーリの会話から分かる作劇の妙

『少女終末旅行』は、主にチトとユーリの会話と終末世界の情景描写で構成されている。人間以外の生物がいなくなった(と思われている)世界を二人ぼっちで旅をするという筋書きのため、物語の面白さは必然的に彼女たちが交わす会話に懸かっている。

 これから『少女終末旅行』に描かれている会話を分析していく。まず初めに一番分かりやすいエピソードから紹介する。それを通して、会話から生まれる面白さの本質というものを探ってみたいと思う。できれば、気になった部分の映像を見返してから読み進めると、より一層細かなニュアンスまで伝わるはずだ。

※セリフの内容はアニメ版を基準とする
※タイムスタンプはAmazon Primeを基準とする

ユーリ「ぜんぶ真っ青だねちーちゃん。空にいるみたいだよ」
チト 「足元に気をつけろよ。尖ったものが流れて来てるかもしれない」
ユーリ「上を向いて歩こうよちーちゃん。上をさ」
チト 「足元に気をつけろって言ってんだろうが」
ユーリ「もったいないなあ。こんなに空が青いのに」
チト 「こんなに空が青いし… 今日は、洗濯日和だな」

――第2話 エピソード3「洗濯」16:54〜

 このエピソードでは、冬を越して雪解け水が流れ着いた街で、飲み水を確保するために浸水した道の上を、チトとユーリが素足で歩いて行くシーンが描かれる。そして、目的地に着いた二人はこんな言葉を交わす。

チト 「寒っ」
ユーリ「この紐は何?」
チト 「流されたら危ないだろ。深い所もあるし」
ユーリ「ヘルメット取ったら?」
チト 「転んだら危ないだろうが」
ユーリ「半裸ヘルメット…」

――第2話 エピソード3「洗濯」17:30〜

 ここで二人は、着ていた服を洗濯するために、白いシャツに着替えた状態で腰にロープを結び、お互いにつながれた状態になっている。チトは事故を防ぐためにそうしたのだが、ユーリはチトが意図するところを理解していない。それどころか、「紐」に関する言及は一回のみで、彼女の興味は別の場所へ移り変わっている。続いて洗濯する場面。

チト 「やっぱり結構汚れてるなあ」
ユーリ「空って何で青いんだろうねえ」
チト 「おいユー。何でまったりしてんだ」
ユーリ「水なら汲んだが」
チト 「お前も服を洗うんだよ」
ユーリ「マジか」

――第2話 エピソード3「洗濯」17:50〜

 チトが真面目に洗濯している横で、ユーリは呑気に空を眺めている。しかし、当初の目的は飲み水の確保であった。その意味で、ユーリはやるべきことをやっている。しかし、二人の意識は噛み合っていない。

会話とは「勘違い」の連続である

 基本的に、会話とは「勘違い」の連続である。人は相手を理解して会話しているように見えて、実は自分の勝手な解釈で話しているに過ぎない。まして日常会話ともなれば、お互いが別々のことを考えながら、何となく言葉をキャッチボールしているだけで、そこに意味などなくても流れで成立してしまうことさえあるのだ。

 先に紹介した三つの会話は、一見まともな会話が成立していないように見えて、実際には会話になっている。言葉が表している意味の連続性が薄くても、流れで会話を成立させることができるのだ。ここが非常に重要なポイントである。

 物語の創作過程では、ストーリーを先に進めようとするあまり、会話の中でそれを上手いこと説明しようとする力学が働く。しかし、物分かりが良すぎる会話は、キャラクター不在となり、書かれた言葉以上でも以下でもない単なる薄っぺらな情報に成りかねない。

 人は、自分の考えを相手に伝えようとして言葉を発する。どんなに一生懸命言語化しても、そこには誤解が生じるし、不達に終わることさえある。現実世界では、相手の考えを丸ごと理解しているようなスムーズな会話はありえない。本当の会話は、分断し、離散し、突然終了したかと思えば、また始まる。そして、会話の主体は「勘違い」の連続で話している。それが会話の本質である。

 その後、洗濯を始めたユーリは、先ほど浮かんだ疑問をもう一度チトに尋ねる。

ユーリ「ねえちーちゃん、空って何で青いの?」
チト 「昔の人は海の青が写っているから、なんて言ってたり」
ユーリ「海?」
チト 「この水たまりよりもずーっと広く、深く、水がある場所だよ。私たちの足下のずーっと下にまだあるとか無いとか。昔の人は海の傍で暮らしてたらしいけど」
ユーリ「あ! 見て見てちーちゃん」
チト 「だから聞けよ! …バカ、急に走るな… うわあ」
チト 「ヘルメット被ってて良かった…」
ユーリ「ねえ、見て見て」
チト 「なんでユーも濡れてんだ」
ユーリ「コケた。それより見て、これを!」

――第2話 エピソード3「洗濯」18:12〜

 ここで先ほど登場した紐とヘルメットの下りの回収が入る。しかし、会話における面白さの妙は、もっとミクロな部分で起こっている。

会話に厚みを与えるのはセリフに書かれた意味以外の部分である

 チトとユーリの会話は、一つの話題で反復することが少ない。ユーリは何かを発見した時、チトにそのことを尋ねたり、あるいは共有したりするのだが、そのことにチトが答えようとしても、それを深く掘り下げることはしない。

 ユーリは目に見える現実や、今この瞬間の感覚にしたがって行動する。一方、チトは自分の知識や経験から世界を理解しようとしたり、これから起こる出来事を予測しようとする。

 二人の性格の特徴は、作品の中で説明されることはない。にも関わらず、彼女たちがそのような性格の持ち主であるということを理解できるのは、二人が交換する会話の中に、彼女たち「っぽさ」が含まれているからだ。

「っぽさ」というのは、言語化されない雰囲気のことである。キャラクターが喋るセリフには、言葉としての意味の他に、雰囲気を含ませることができる。セリフの言い回しや、相手のセリフに対して返す言葉、そして会話のリズムや間。更に、言語化「されない」情報も、そのキャラクター性を物語る要素として機能する。

 会話に厚みを与えるのは、闇雲に文字数を増やすことではない。あるいは、会話のキャッチボールを増やして意味を繋いでいけば良いというものでもない。言語化「されない」情報は視聴者に届く。だから、一見意味が無いように見える会話でも、意味を作り出すことは可能なのだ。

 優れた会話は、セリフには書かれていない「セリフ以外の情報」が多く含まれる。リアルなセリフは、そうではないセリフと比べて情報量が多いということだ。これも重要なポイントの一つである。

 続いて別のシーンを見てみよう。

チト 「ねえユー」
ユーリ「なに?」
チト 「ここはどこなんだろう」
ユーリ「さあ? 見渡すかぎり真っ白だね。まるで世界に二人しかいないみたいだね」
チト 「詩人は気楽だな。こっちは寒さを凌げる場所を探すのに必死だってのに」
ユーリ「それとも、実は二人とももう死んでいて、真っ白な死後の世界にいる… とか」
チト 「縁起でもない。あと雪玉作るのやめろ」
ユーリ「えー、楽しくなってきたのに」
チト 「頭が重い。それに凄く寒い」
ユーリ「ねえ知ってる? 死後の世界って暖かいんだって」
チト 「だったら私たちは、まだ死んでないみたいだな」
ユーリ「ううう… 寒いね」

――第2話 エピソード1「風呂」00:05〜

 この会話の冒頭は、一見まともな会話が成立しているように見えるのだが、二人のセリフから「伝えようとしている意図」が噛み合っていないことが伺える。そして、後半へ進むにしたがって、セリフの連続性が薄れて離散していくように見える。しかし、ユーリのセリフは、テンポが遅れているだけで前のセリフの流れを汲み取った回答になっていることに気付く。

会話に順番を守る義務はない

 実は、会話を構成するセリフを組み立てる時、律儀に順番を守る必要など全くないのだ。一つ前のセリフに反応しても良いし、思い出したように話題を切り替えても良い。遅れがあるならば、当然、先読みも有り得るだろう。最終的には、一つの流れとしてセリフが束になった時の総和を大事にすれば良いのである。

 次の例は、これまでに登場した会話の特性が誇張された分かりやすいシーンである。この場面では、二人の性格の違いから起こる現状把握の不一致を、極端な表現で喜劇に仕上げている。現実の会話ではまず起こらないやりとりではあるが、これをマイルドにしたものが今までに紹介してきた会話の中に散りばめられていると思ってもらえれば良い。

ユーリ「うーん。今日は暖かいなあ」
チト 「駄目だ…」
ユーリ「天気もいいし」
チト 「直らない…」
ユーリ「穏やかだ」
チト 「絶望的だ…」
ユーリ「♪ふーんふーんふん」
チト 「ユー。板金しゃぶってないで手伝ってよ」
ユーリ「えー、やだあ。もっと絶望と仲良くなろうよ」
チト 「ポジティブ過ぎる… まあ、ユーが触っても余計壊れるだけだけど」
ユーリ「♪ふーんふーんふん」
チト 「参ったな。このまま直らなかったら… 一番上どころか何処にも行けずに…」
ユーリ「ふわー。いいじゃんもう何処にも行かなくてもさ… ん?」
チト 「やっぱり絶望だー」
ユーリ「ちーちゃん! あれ見て、あれ」
チト 「あれ?」
ユーリ「飛行機ってやつ?」
チト 「あ! ユーあれ、人がいる」
ユーリ「ねえ、だから空に飛行機が…」
チト 「え? 空?」
ユーリ「え? 人?」
チト 「何処? あ、本当だ。空に何か」
ユーリ「見て! 人が」
チト 「だから今言ったろ」
ユーリ「あ、コケた」
チト 「うん」
ユーリ「死んだか」
チト 「いやいやいや」

――第6話 エピソード1「故障」01:34〜

 これが普通に順番通りのセリフ回しだったら、面白くならないことは自明であろう。

別の場面から引用されたセリフは、会話に別の意味を作りだす

 会話には、別の場面で使われた言葉を使いまわすことで、別の意味に転換したり、意味を増幅する効果がある。この手法は『少女終末旅行』に限らず他の作品にも見ることができるが、次の例では複数の場面から重層的に言葉を引用することで、言葉そのものの意味とは別の面白みを含む内容になっている。

ユーリ「ちーちゃん。大丈夫?」
チト 「ん… そうだ、こういう時こそ! あれだよ」
ユーリ「あれ?」
ユーリ「ちーちゃん好きだね。これ」
チト 「別に好きじゃない」
ユーリ「落ちる時は… 道連れということか」
チト 「いや、私が落ちた瞬間に、ユーが反対に落ちれば助かるかなって」
ユーリ「難易度高いな」

――第7話 エピソード1「迷路」04:04〜

 足場の悪い地帯で、高所恐怖症のチトはとっさのひらめきで二人の体を紐で縛る。根本的な解決になるか分からないまま、二人は食料のある場所へと向かって行く。

ユーリ「でも、なかなか治らないね。高いとこ苦手なの。何で?」
チト 「…何で?」
ユーリ「大体私たちって、そもそも凄く高い所で暮らしてるわけじゃん」
チト 「それとはちょっと違うような…」
チト 「あ、ユーは今お腹空いてる?」
ユーリ「空いてるが!」
チト 「でもいつも空いているよね」
ユーリ「いや、いつもよりめちゃめちゃ空いてる」
ユーリ「あ、そうか。つまりちーちゃんは、めちゃめちゃ怖いんだね」
チト 「まあ、それに近いかも」

――第7話 エピソード1「迷路」04:39〜

 言語化できない感覚を言語化するために、喩え話を使うことは良くあるが、ここでは「めちゃめちゃ」という分量によって「いつもとは違う」という感覚を共有している。そして次の会話へと続く。

ユーリ「薄暗くなってきたね」
チト 「あ、しまった。ランタン置いてきちゃった」
ユーリ「あらあら。今日はもう引き返す?」
チト 「いや。というか私たち… どっちから来たんだっけ」
ユーリ「もしかして」
チト 「迷ったか」
ユーリ「でもほら。私たちっていつも迷ってるようなもんだし」
チト 「いつもとは少し違うような」
ユーリ「お。めちゃめちゃ迷ってる」
チト 「うん」
ユーリ「しょうがないねー。いっそのこと今日は、ここで寝るってのは?」
チト 「それは絶対嫌だ」
ユーリ「私が寝返りで落ちたら、ちーちゃんは反対側に落ちてね」
チト 「難易度高すぎる」
ユーリ「じゃあ、とにかく進むしかないね」

――第7話 エピソード1「迷路」06:16〜

 前挙した二つのシーンの後にこの会話を見ることによって、言語化された情報とは違う意味や面白みが加わっているのが分かる。このような光景は日常の友だち同士の会話でも見ることができる。これも会話が生み出す面白さの一つである。

『少女終末旅行』の会話の魅力

 ここまでは、どちらかと言うと技術的な面に寄った分析を試みた。それを踏まえて、『少女終末旅行』の会話の魅力についてまとめる。

 この作品全体の会話を通して見ていった時に一つ気づいたことがある。それは、ユーリのセリフが、常にチトがそこに存在することを確かめているように感じる、ということである。

 チトは内向的な思考型だから、常に自分と向き合って自問自答する。彼女のセリフは内言に近いので、黙って画面を見ている視聴者にとって、感情移入しやすいのはチトの方である。そうすると、画面に映っているのは、チトの常識の範囲から見た世界と、その中でユーリが勝手気ままに振る舞う姿という構図になる。

 時に問題を起こし、チトを怒らせ、反省しないユーリであるが、実は最もチトを必要とし、大切に想っているのもまたユーリなのだ。何故なら、彼女のセリフはその殆どがチトに向けられている。ユーリがチトに何かを聞くのも、本当はその意味が知りたいのではなくて、ただチトがそこにいて、答えてくれるという事実を確認するために行っているのではないだろうか。

 二人の会話はほとんど反復しない。それはストーリーを進めるための説明を必要としないというよりも、チトとユーリは会話の反復を成立させる必要がないほどの関係値を築いている、ということが表現――それが意識的か無意識的かに関わらず――されているように感じる。カナザワやイシイのように、新しい人物が登場した時には会話の中に説明の色が強くなるのだが、いつもの二人に戻った時の会話は、ただ蓄積されていくことそのものに向かって流れていく。

 どれだけの間、繰り返したのだろうか。終わるまでは終わらない。そこには一種の法則性があり、一貫性がある。その一貫性が『少女終末旅行』の作品全体にわたるセリフに作用し、あの会話を生み出したのではないか。神は細部に宿ると言われるが、全体の一貫性こそ、細部に神を宿すために必要なものなのだ。

 最後に、『少女終末旅行』で最も優れた会話を紹介して終わりにする。この会話の中にチトとユーリの関係が全て表現されている。ユーリが何かをやらかすと、チトが怒り、ユーリが謝る。そしてチトは許す。この構造はその後何度も繰り返し登場する。『少女終末旅行』はこういう世界でできている。それをたったこれだけの会話で示している。

ユーリ「暗い。暗い。暗いー。くーらーいー」
チト 「うるせえ」
ユーリ「ごめん…」
チト 「…いいよ」

――第1話 エピソード1「星空」02:40〜

 つくみず氏はデビュー作の一番最初にこれを書いた。アニメ第一話と同じく、原作第一巻、最初のエピソードの冒頭だ。『少女終末旅行』はストーリーを楽しむためだけに、一度見て終わりの作品ではない。もういちど見て、何度でもその世界に発見がある「面白い」作品だ。

 もしこの記事を読んで気になったら、是非アニメや原作をもういちど見返して、あなた視点で発見する『少女終末旅行』の魅力を探してみて欲しい。

『少女終末旅行』アニメ

『少女終末旅行』アニメ

監督
尾崎隆晴
原作
つくみず
キャスト
水瀬いのり、久保ユリカ
制作
WHITE FOX