圧倒的に読みやすい「新訳」でもう一度読み直す『ソクラテスの弁明』プラトン(著)書評

2017/03/20
ソクラテスの肖像

 圧倒的に読みやすい「新訳」でもう一度読み直す『ソクラテスの弁明』。

 この本の原文は、紀元前三九九年に起こった出来事を元にプラトンが記した物である。ソクラテスは語る人であったから、生涯で著書を残していない。従って、彼の思想が伺えるのは、全て弟子たちの手によって書き残された記録によるものである。

 中でも、この『ソクラテスの弁明』は、彼に関する記録の中で最も有名なものの一つで、タイトルだけなら誰しも一度は聞いたことがあるはずだ。哲学に関心を持たない人でも、学生の時に一度は目に触れた記憶をお持ちではないだろうか。本書は、正にそんな人にこそ手にとって欲しい一冊。

ソクラテスの弁明

ソクラテスの弁明

著者
プラトン
翻訳
藤田大雪
出版社
叢書ムーセイオン刊行会
初版
2013/3/3(Kindle版)

 この本の特徴として、まず初めにイントロダクションが用意されている。この話の経緯や時代背景、裁判のルールや現場の状況が、イラストや写真を用いて分かりやすく説明される。ここで古代ギリシアを舞台とした本書を読み始めるにあたって、必要な前提知識を準備することができるようになっている。

 そして、『ソクラテスの弁明』が始まる。

 アテナイの皆さん、皆さんが私を告発した人たちの話からどういう印象を受けたのか、私には分かりません。いずれにしても、私は――私自身でさえも――もう少しで心を奪われるところでした。それくらいの説得力をもって彼らは語ったのです。しかしながら真実は、言ってみれば何ひとつ語りませんでした。

――『ソクラテスの弁明』前口上

 この書き出しを読んで、どういう印象を受けただろうか? 私は、軽妙な語り口で読みやすいと感じるまでもなく、みるみるうちに彼の「弁明」に聞き入ってしまった。哲学に関する本と言えば、何とも重苦しく硬い文章をイメージするが、そんなことはない。この新訳版では、本を読み慣れていない人でも最後まで読み通すことができる文章になっている。

 ソクラテスが裁判所へ出頭命令を受けたのは、直接面識のないメレトスという青年に告発されたからである。その訴えによれば「不敬神の罪」だという。現代の日本では考えられないが、当時のギリシアでは「神々を冒涜する振る舞いをした」ということで訴えられてもおかしくない時代だったのだ。しかし、ソクラテス本人は全く身に覚えのない罪であった。彼は自らの潔白を晴らすために裁判所へ向かうことになった。

 本書のイントロダクションでは、公平な判決が行われるために必要な裁判上の手続きを詳しく解説している。初めに、神祇官がメレトスとソクラテスから事情聴取を行い、告発の法的な正当性を認証したうえで予備審問の期日を決定する。その後、予備審問の場において神祇官の前で告発と弁明を行い、最後に五◯◯人の裁判員を集めて民衆裁判を行う。

 民衆裁判が開廷されると、告発者と被告で交互に弁論を行った後、裁判員たちは自分の票を、有罪か無罪かのどちらかに入れる。投票の結果、無罪票が上回れば判決は決定するが、有罪票が上回った場合には、刑罰の重さを決定するための裁判が執り行われる。この時、原告の求刑に対して被告は対案を提示できるのだが、どちらの刑が採用されるかは、再び投票によって決められるのだ。

 最初の裁判で、ソクラテスは有罪の判決を受ける。そして、メレトスは死刑を求刑した。その時、ソクラテスはどのような「弁明」をするのか。それが本書の見どころである。

 この本が、というよりもソクラテスがいつまでも語り継がれる理由はどこにあるのだろうか。個人的な解釈では、時代が変わってもなお普遍的な真理をソクラテスから学べるからだと思っている。本書を読んでも分かる通り、ソクラテスの姿勢は一貫して「人間としての善」を追求するものであった。彼の言う「アレテー」とは、徳であり、徳こそ生涯をかけて実践するに値し、その先に人の幸福があると主張する。その姿勢を曲げてまで、得るべきものなど何もないとして、彼は死刑をも恐れない態度で弁明する。

 その態度がかえって裁判員たちの反感を招き、投票の結果ソクラテスは死刑を言い渡されることになってしまう。そこにいた人たちの多くは、その弁論劇の中で彼が自身の行為を謝罪し、情状酌量を懇請する姿を見たかったのだろう。どれだけ強い意志を持っていても、人の感情の不合理さをコントロールすることはできないという寓話にも見て取れる。

 このように、本書の結末は彼の生涯の結末を知る内容でもあった。しかし、この本を読む価値は結末を知ることではない。それはタイトルにある通り、ソクラテスの「弁明」を通して彼の思考の流れを読み、思想を知り、哲学者の生き様を通して何かを学ぶことである。

 私たちは何も知らない。その「無知の知」を、ソクラテスは多くの人に教えようとした。それは、逆説的に「学び続けよ」と言われているように感じる。人生の真理は主観的であり、その答えは結果ではなくプロセスの中にあるのだと思うからだ。

ソクラテスの弁明

ソクラテスの弁明

著者
プラトン
翻訳
藤田大雪
出版社
叢書ムーセイオン刊行会
初版
2013/3/3(Kindle版)